★軽石のふしぎ講座

ゆうにー解説◆軽石の問題を子どもの学びとして捉える話(ゆうにー)

軽石問題を子どもの学びとして捉える話
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ここのところ、InstagramやTwitterに上げている「軽石問題」についての考え方。いくつか投稿を上げていたので、ちょっとブログでまとめておきたいと思います。
(ここの意見はネコのわくわく自然教室、ゆうにーとしての意見です)
2021/12/24更新
※最新の投稿はこの記事の最後にあります。

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魔法の言葉

2021/12/07

「美しい沖縄の海岸を取り戻す」という魔法の言葉で、漂着した軽石の除去が広まっています…
港湾やホテルビーチ、養殖などのエリアは仕方ないと思います。そこは人間の空間。自然に負荷をかけても許してもらう場所です。
でも、それ以外の自然が素敵な海岸は、ゴミは別ですが、「ありのまま」がいい自然の場所なのではないでしょうか。

その中で「軽石」はなに?
そう「軽石の除去」という活動。どこまでが美談なのか、何のためなのか、実はとでも深い問題だと思います。Twitterで話題の言葉を使うと「センシティブな内容」とでも。

「見た目悪い」=「即除去」

この考え方でいいのでしょうか。

子ども達には、しっかりとその場、その瞬間の雰囲気ではなく、客観的で多角的な理解と視点で物事を考える。ということを教えることが必要なのではないでしょうか?

これは大人の問題として、人と自然の付き合い方ですが、子どもの巻き込み方を考えてほしいと思います。

そう、軽石除去は、沖縄での人と自然の向き合い方を如実に表している気がします。
広い意味では社会のあり方としても。相性が悪ければ棲み分けは必要ですが、一方の価値観だけで「悪者扱いは」いかがなものかと。
いや、大人はそんなものかもしれませんが、そうした感覚を身につける段階の子ども達を巻き込むなら、しっかりと、巻き込み方を考えてほしい。

次の100年を人がどう暮らすか。そこにも繋がるテーマ。と勝手に思っています。
これまであまり、こういうストレートな方向では書かなかったのですが、どうも魔法が蔓延しつつあるので、思わず呟いてしまいました…

と言っても、ここの発信力は大してありませんが…

港湾やホテルビーチなどでの除去に反対していません。



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いつまでも残したい風景

2021/12/08

夕方の中城の海、とってもきれいな夕暮れ。
穏やかな海、大好きな中城の海岸は、夕方の景色も素敵です。

美しい沖縄の風景の一つ。
いつまでもこのままであってほしいと思います。

ですが、実は自然は移り変わっていくものでもあります。

はるか昔から、沖縄はこの風景と思っている人も多いですが、例えば、海岸の様子も時代によって大きく変動します。
波打ち際の位置ですら時代によって大きく変動。
例えば、8000年ほど前の縄文時代の初期は、今より海面がだいぶ高く、波打ち際は現在よりも100m以上内陸に。今の海岸線は、海の中です。

さらに、もっと30万年ほど時代を遡ると、中城の山並みも全て海面の下。沖縄本島中南部はすべて海面下で、広大なサンゴ礁が広がっていました。
そこから600万年ほど遡ると、このエリアは水深1000mほどの深い海の底。サンゴ礁もなく、ユーラシア大陸からの細かな泥が降り積もる静かな深海でした。

そう、自然はそもそも移り変わるものなんです。

これは地学的な時間軸での話なので、軽石漂着とはちょっとスパンが違いますが、少なくとも「良い自然は、いつまでも今の環境が続くこと」というのは、自然の本来のありようではないんです。

今の海岸の風景も、強力な台風一つ、大きな津波ひとつで、だいぶ見た目が変わっていきます。
それに争ってしまうのが人間ですが、争わずにうまく付き合っていくことが、自然との付き合い方なのではないかと、思うこの頃です。

ちょっと、話の軸がずれましたね。



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たぶん、みんな知らない
2021/12/09

たぶん、みんな知らない。
浜に打ち上がった軽石は、実はもう生き物の棲家となっていることを。

たくさん打ち上がったあの軽石。
人間の目には、汚く見える場合もあります。
これまでなかったものが現れることに敏感な人間の目には、ちょっと刺激的すぎる軽石たち。

海岸の生き物によっては、そんな素敵な棲家になっているものも。

湿度も隠れ家具合もいいのかもしれない。

でも、大抵は夜に行かないと見られません。夜の軽石の中からは、数えきれないくらいのヨコエビの仲間が!
掘ってみると、ミミズや昆虫も出てくる。

これらの生き物は、海岸の日差しや乾燥、敵から隠れるために、こうした砂の中を好みます。
なので、昼間に行ってもなかなか見ることはできない。

だから、居ることに、棲家になっていることにも気づかないことが多いんです。
きっと、たくさんの軽石と共に、こうした人の目には映らないような微細な生物が、たくさん土嚢袋に入っているんだろうな。と思います。

いや、まぁ、これだけで、軽石は除去するな!とは言いません…。

彼らが、沖縄の複数の浜で、何万匹と駆除されても人の目に見える影響が出るほどの環境変化はないはず。

軽石を除去して感じる見た目の復旧の方が、良い影響と感じる場合が多い…

問題かな、と思うのは、そういう事を知らないこと。気づかないこと。

残念ながら、自然の不思議をじっくりとした観察や客観的な科学の教えをなしに、目に映る光景から感じとれるほど、人間の感覚は優れていない気がします。
それほど自然は複雑で、細かい動きをするという事でもあります。

何事も知ることから始めて欲しい。




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まずは探究心を育ててほしい
2021/12/10

これからの社会を担う子ども達には、自然や他者に対して安直に排他的にならず、相手を理解する心を持ち、まずは相手を知る探究心を大切にして欲しいと思います。

軽石からも、そうしたことが学べるはずです。

逆に、何の教育もなしに除去活動に巻き込むことで、子ども達にとって偏った学びになる可能性もあると思います。

例えば、ヤンバルクイナの保護活動でも、外来種問題でも、ビーチクリーンの活動でも、活動の前や活動をしながら色々なことを教えるはずです。

沖縄の自然について、保護や駆除の対象について、生態や拡散の仕組み、環境への影響や人との関わりなど。どちらかと言うと、子どもの力で何かをする活動自体に目的があるのではなく、そうした体験を通して、子ども達にその問題の全体像を教えることが目的ではないでしょうか。

伝えたいことは多面的で、道路を作るのが悪い、ゴミが悪い、駆除すべき、という一面的な考えではないはずです。

きっと、そうした体験では、みなさんそういうプロセスを踏んでいます。

軽石の除去活動については、どこまでそうした事が伴っているのでしょうか。

港湾などで重機を使った除去の作業が進んでいますが、それは大人の仕事として仕方ないと思います。そうした動きとは別に、子ども達に砂浜で軽石を除去させる動きは、何をしたいのだろうかと思ってしまいます。

もちろん、地域への貢献、ぱっと見の美談としての達成感。というイメージは、わからなくもないです。ボランティアという魔法の言葉が素敵さを増してくれます。

ただ、そこで子どもを巻き込む大人としては、一歩立ち止まって考えてほしい。子どもを巻き込む意味と実際の作用を。そして、伝える工夫、いや努力をして欲しいと思います。

子ども達は、大人が思っている以上に素直で、目の前の物事から学ぶ力があります。
ただし、目の前に見えること以外の部分を読み取る力、背景を理解する知識は少ないんです。

要は、子どもは教わったことをもとに発展はあるが、教わったこともないものを自分で気づく訳ではない。という事。

だからこそ、丁寧に、大人が物事の見えないところまで教え、子ども達に体験を通して学びとってもらうことが必要と思います。

この軽石の問題、一部業種ではとても深刻な状況で、様々な対策が必要なエリアもあることは理解できます。

非常事態のように大人の手が足りず、子どもを駆り出さないといけない程の状況なら、そうする事も社会では必要です。

でも、今の状況、そうした意味で子どもを駆り出すほど追い詰められているのかは疑問です。軽石の量と子ども達の作業量を見たところでも。

その時間を学びに繋げてくれたらと。勿体無いと。

その「やってみた感」、本当に学びになるのか、何を学び取って欲しいのか、巻き込む大人がしっかりと考えて欲しいと思う。今日この頃です。

参加さえさせたら、何が学び取るでしょう。と言うのはちょっと乱暴かもしれません。

子ども達には、まずは、探究心を伸ばし、相手を学ぶところから始めてさせて欲しい。

そのための方策を整えるのが大人の役割。今こそそこに注力を。

と、勝手に思っています。




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沖縄の子どもの実情
2021/12/16

「最近、沖縄にたくさんの軽石が流れ着いているって知ってる?」
「福徳岡の場ってきいたことある?」

「う〜ん、よくわからない」

今日は、小さな公民館で放課後の小学生に軽石のミニ講座をしてきました。

その最初に聞いてみたこと。

ここのところ「軽石の話を聞きたい!」って子どもたちばかりを相手にしていたので、ちょっとびっくりだった瞬間。

いや、これ、沖縄の子ども達の実情かもしれません。

大人はたくさんのメディアに囲まれて、情報もたくさん入ってきます。

でも子どもたちは?

報道では盛んに流れていますが、何だかんだ言って、沖縄で普通に暮らしていて、海岸に行くこともなければ、軽石漂着の影響は、まずありません。感じるかけらもないのが実情です。

父母が少しでも関心があれば別ですが、それもなければ、報道も減ってきたここのところは、もう子どもたちが軽石騒動の話題に触れることもないのかもしない。と思った瞬間。

ここから2つ心配なことがあります。

1つは、あまり知らない状態で、被害報道や除去活動の話だけでが入ると、軽石についてのイメージは、もう、悪いものだけになってしまいます。問題の本質に辿り着く前に…

2つ目は、100年に一度という地球の営みを感じ、学べるチャンスを逃してしまっている子が、思った以上に多いかもしれないこと。これは大人も同じ。

もちろん、軽石くらい知らなくても、生きていく上で何の支障もありませんし、次の漂着被害はきっと100年後なので、生きているうちにはないから問題ないというのが基本。

でも、でも、でも、もったいない。

だって、今日の子ども達も、最初は「福徳岡の場」すら知りませんでしたが、1時間丁寧に軽石にやその不思議について話をしたら、もう目を輝かせて、軽石に、その仕組みに興味津々になってくれました。

「知る」ということの素敵な部分。もっと伝えたい。

「知らない」ということを知って欲しい。という、わかりますか?この感じ。

(ゆうにー)


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軽石回収の残念な事実
2021/12/22

残念ながらどこかのボランティアさんに回収されてしまった軽石を子どもの教材として、有効活用するために回収。(中城村役場の正式な許可を得て、回収袋の回収をしています)

子ども達の学びにつながるように!

が、土のう袋を見て改めて、みなさんに知ってほしい事実が…

ずっと、訴えてきていますが、今回の回収された土のう袋の中を見て、あらためてショックを受けました。
砂浜で回収された軽石の実態は、砂浜そのものの回収。

考えたら当然ですが、砂浜で回収されたものは、軽石だけとなるわけもなく、サンゴ片、貝殻、海藻、釣具などのゴミ、ヨコエビ、ヤドカリ、いろいろ混在しています。

異物は有効活用を阻む要素になります。

そして、これは回収の事実に満足するだけの作業。

報われない善意とは、まさにこのことです。
良かれと思う行為に科学的な検証がなされず、実は負の影響も起こしてしまうという。

これ、本当に海岸のためなんですか?

いい加減やめませんか、浜での軽石回収…

ちなみに、中城村役場では軽石回収を要請していないとのことです。ボランティアの方々が自主的に動いてることと。

まだ、この先も話があるとか、誰に言ったらわかってくれるのでしょうか…


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一度、立ち止まって考えて
2021/12/23

一度、立ち止まって考えてほしい。
その「軽石除去」という活動、何のためにしているのか。

この土のう袋な中身を見て、一度立ち止まって、冷静になって考えてほしいと思います。

本当に海岸のためになっているのか。

海岸のためとは何のためなのか。

人間の見た目のため?
海岸の機能のため?

海岸の機能とは何なのか。

生物学的な生態系の維持?
人が見て使って楽しむ場所?

軽石があることで本当に「汚い」「使えない」場所なのか。

白い砂浜が本来の沖縄そのもの?
それだけが本当の自然の姿?

常に変化を続け移り変わる自然という状況。
その神秘さや力強さが、生命を育み人を育む。

はずなのに、人間の一辺倒の価値観だけで見ていいのか。

その作業が何に影響をするのか。

海岸への影響は、小さな生物への影響は?
汚いものは人間の手で除去するという価値観が子たちの将来へ及ぼす影響は?

港湾での除去活動と、砂浜での除去活動の違いはないのか。

この効率が悪い作業の意味が本当にあるのか?

海岸の砂を大量に移動するのに許可はいらないのか。

普通はサンゴ砂を取る時も許可が必要なのを知らない?
軽いも漂着した時点で自然の砂なので同じなのを知らない?

回収しても処理ができないものだから溜められてしまう。
人間のためにして、わざわざ人間の苦労を増やすと言うことをわからない?
回収しなければ浜で生物の棲家として役立つことも。

そうしたことを含めて、一度落ち着いて考えられる大人はいないのでしょうか。

今週も、県内各地での軽石除去活動という動きがSNSやニュースで出ています。
地域によっては首長が率先している市町村まで…

本当に、そうした大人の動きは、人間の自然との付き合いのあり方として、冷静な対応と言えるのでしょうか。

子ども達に見てもらう背中として、後世から見たときに矛盾はないのでしょうか。

今一度、ゆっくりと、そうした部分を話し、議論し、科学的で客観的な行動ができる社会になってほしいと思う。

まだ遅くない。はず。

それが子ども達のために、大人が軽石から学べることかもしれない。


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子どもの純粋な気持ちを汲むために
2021/12/24
※この写真は本文と直接の関係はありません。

「ウミガメが軽石を食べて、死んでしまう、このことで、涙を流して軽石を除去清掃している子どもさんがいました」
こうした話を聞かせてもらいました。

きっと、とても優しい子で、ウミガメへも思い入れが強い純粋な心を持った子なのだと思います。

この話からは、今回の軽石漂着から我々が学べるいくつかの課題が読み取れると考えています。

1)正しい情報を得られているか。
研究では、ウミガメが軽石を飲んで死んだと言っていないんです。
たぶん、このウミガメが軽石で死ぬというのは、11月中旬に出た子ガメの記事を見てのことと思います。
例)NHKニュース「死んだウミガメの子ども 体内に大量の軽石」 2021.11.12
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マスコミの記事では、センセーショナルに「軽石を飲んで死んだ?!」と書かれていますが、実際は軽石で死んだ事実が確認されたわけではありません。

調査した美ら海水族館の発表によると、保護されたウミガメの体内で軽石やプラスチックゴミが見つかったが、それが直接の死因になった所見は観察されていない。その上で、一般論として、子どものカメでは、そうしたものが腸に詰まるなどで死因になることもあると説明しています。

つまり、今回のウミカメの死因として確認されてたわけではありません。

(美ら海水族館の発表)
https://churaumi.okinawa/ba/research/hogotorikumi/
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そして、この事例以外で、ウミガメが軽石による影響で死に至るような事例が見つかっているという報告は上がっていません。(私が確認できていないだけかも知れませんが)
つまり、マスコミの表現に勘違いしてしまった状況です。原文である美ら海水族館の発表を読むと、体内から見つかったのは軽石とともにプラスチックゴミと表記されています。写真上もたくさんの小さな軽石と一緒に、たくさんの小さなプラスチックゴミが見られます。その表記は、ニュース記事ではありません。

これは軽石問題に関わらず、現代社会で子どもたちが直面する課題だと思います(大人でも)。端的な情報に惑わされず、そうした情報から元になる情報にあたり、正しい情報と全体像を掴んでいけるかどうか。とても大切な課題です。


2)何を守ろうとしているのか、シンボリックな生き物だけにとらわれてしまう思考に陥っていないか。

自然保護や自然への人の影響などを伝える場面では、その話題のシンボルとなる親しみやすい生き物を取り上げるは効果的な手法だと思います。ウミガメしかり、ヤンバルクイナしかり。
ただし、それはあくまで入口を広げるためのシンボルであり、そこを通して守り考えていくのは、そのシンボルが生きている環境全体のことだと思います。ウミガメを守りつつも、彼らが暮らす海の環境自体を豊かに保つことが大切。

でも、どうしてもシンボリックな生き物の生死、増減だけに囚われてしまいやすいのが我々です。
今回の軽石除去の活動でも、ウミガメを守るためと言いつつ、軽石と共に微細な生物を大量に土のう袋に詰めて、海岸から除去してしています。
ウミガメと1センチにも見たない小さなヨコエビと、どっちの命が大事なんだ?となったら、きっと子どもたちはウミガメをとるのかもしれません。
その命や生物種に価値の差を見出すのは、すべて人間の価値観でしかありません。自然界の中では価値の差はなく、そもそも価値などの意味づけという概念がない気もします。
ウミガメをまもるという認識のもとに、海岸の環境に手を加える。そうした考え方が、本当にウミガメのためになるのか、海を豊かに保つことにつながるのかはしっかりと考えなければならないと思います。
そもそも科学的に物凄い悪影響があると示されているわけでもありません。

少なくとも、科学的な認識を抜きにした人間の価値観だけでの自然とのとの付き合い方が、矛盾や歪みをきたしたために自然へ悪影響を及ぼし、そもそもウミガメなどを守らないといけなくなっている事実があります。
これからの社会で、どう人と自然が向き合っていくのか、それを考える重要な部分かもしれません。


子どもたちは本当に純粋な思いで、こうした問題に向き合おうとしてくれます。
なかなか涙を流して、自ら動いている子を前に言いにくい話なのですが、その子の涙と除去の労力。その方向が本当に有意義なものだったのか、その子が流した涙を無駄にしないためにも、子どもに伝える中で、大人側がしっかりと考え、正しい情報で伝えてあげる必要があると思います。

子どもの涙が関わる話の中で、とても言いにくい話をしました。言葉足らずの部分があればお許し下さい。


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嬉しいこと、と、新たな問題
2021/12/24

ちょっと嬉しい話。と、新たな問題。
地域は狭い。先日話をした中城の海岸で軽石除去の活動をされたグループとつながりました。

地域を考えた若者達で、ここでの発信に触れて、色々考え、わざわざ話を聞きに来てくれました!

客観的に、現象の仕組みや歴史、今分かる生態系への影響などを話しました。人間の営みと生態系、その中で浜での除去をどう考えるのかということを。

実態としては、
「そこまで考えてなかった」
というのが正直なところだそうです。

いや、そうした批判的な意見に素直に耳を傾けて、自分の足で聞きに来てくれて、いろいろ考えてくれる若者は、素敵です。

そもそも地域のため、環境のために自ら動いている時点で、すばらいしい若者たちだと思います。ただ、情報が足りなかった、知識が浅かっただけ。

で、次の問題点…

人の生活に直接の悪影響をするわけではない、このエリアの海岸での軽石除去…
ゴミの回収とちがって、しなくても良かったと気づいても、こうして集めてしまった軽石を浜に再び撒く訳にもいかず、どうしたものかと悩む。
集めてしまうことで処理に困る。
きっと村役場だって困る。戻せとも言えないでしょう…

ということを知らない。
ほんと、集めてしまうと「わざわざ」やっかいものになるんです。

はやく、やめましょう。沖縄の陸地へ上げてしまうことを。


(ゆうにー)



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by neco-waku | 2022-02-07 14:46 | ★軽石のふしぎ講座 | Comments(0)

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